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  • ・ダイレクト出版取締役
  • ・セールスライター

ダイレクト出版取締役。セールスライター兼マーケター。クライアントのためにセールスライティングを請け負う場合、プロジェクト1件で、一流企業のエリートサラリーマンの年収を軽く超える額をチャージ。さらにそこから売上からのロイヤリティがかかる。これほど日本で最高クラスの料金設定にもかかわらず「書いてください」という人が後を絶たない。著書には『ウェブセールスライティング習得ハンドブック』『ダン・ケネディから学ぶ「稼ぐ社長」の作り方』(集英社)がある。

私のストーリー

大阪府で生まれるも、父親の転勤によって引越、転校を繰り返す。初めての転校は小学校4年に上がる時の春。大阪から京都に引っ越す。

中学一年になったある夏の日のこと、そのころ好きだった女の子に突然告白される。

これからのバラ色の青春を想像して興奮していたその日の夜、最悪のタイミングで父親から「転校やで」と言われ、枕を濡らす。

次の行先は、大分県。今まで引越と言っても関西の中の移動だったのに、一気に本州から脱出。自動改札もなく、テレビの民放も2局しか映らない(NHK、NHK教育と合わせて全4局)田舎で高校3年生まで過ごすことになる。

大学では一人暮らしをしたかったので、両親の実家もあり、ゆかりもある大阪の大学(関西大学)に進学することを決める。

一人暮らしで自由な大学生活を楽しみにしていたのもつかの間、同時に父親の大阪転勤が決まり、家族全員で大阪に引っ越すことになった(一人暮らしの夢は先送り)。

キムタクが建築家の役をやっていたテレビドラマに影響されて入った建築学科だったが、あまりの絵のへたくそさとセンスのなさに、1年生の終わりごろ、建築家への夢をあきらめる。

その後、「授業が忙しいから」と親を何とか説得し、無理やり一人暮らしをスタートするも、マージャンにはまり、昼夜逆転、主食は卵ご飯と納豆という、最悪の生活を送るようになる。

ギリギリで卒業したあと、東京の大手IT企業(当時東証一部上場)に入社。

そこで、システム開発やプロジェクトマネジメントなどの技術を叩き込まれるが、この仕事がなかなか適性に合っていたようで、過酷ではあったが(夜11時からお客さんとミーティング、など)、とても充実した日々を送る。

「一生懸命やることを楽しむ」ことで会社からも評価され、様々な規模のプロジェクトのマネジメントを任されるようになる。

そんな中、ひょんなことから、コピーライティングやダイレクトレスポンスの魅力にとりつかれ、それまで通勤のときに読んでいた「日経コンピュータ」を、ジョー・シュガーマンや神田昌典さん、ジェイ・エイブラハムなどの本に持ち替えるようになる。

将来進む道はここだと決意し、5年間お世話になった会社を辞めて大阪に戻り、海外のマーケティング教材を日本に販売する会社を立ち上げる。

が、ビジネス成功の道は甘くなく、収入も激減し、生まれたばかりの子供と奥さんの寝顔を見ながら、どうしようもない罪悪感に潰されそうな日々を過ごすことになる。

そんな日がしばらく続いたあるとき、偶然、小川忠洋と出会い、コピーライターとしてジョイントベンチャー契約を結び、一緒にビジネスをやることになる。

その後ダイレクト出版のオフィスに何度か出入りするようになるが、会社のこれからの可能性に魅力を感じ、もっと深くかかわりたいことを伝え、入社することになった。

すぐに実力を発揮し、入社後2ヶ月で月商3,000万円のマーケティング部門(【ザ・レスポンス】を運営)を任されるようになり、その後その部門を、月商1億円以上を安定して売上げる事業に育てた(メンバーは10名)。

マーケティング・システムの設計と、セールスコピーライティングの能力には定評があり、セミナーは2日間で30万円と高額にもかかわらず、会場に入りきらないほどの人気(半年間のコーチング・プログラムの参加費は一人60万円)。

クライアントのためにセールスライティングを請け負う場合、プロジェクト1件で、一流企業のエリートサラリーマンの年収を軽く超える額をチャージ。さらにそこから売上からのロイヤリティがかかる。これほど日本で最高クラスの料金設定にもかかわらず「書いてください」という人が後を絶たない。

現在、ダイレクト出版株式会社取締役。