トップ > ザ・レスポンスとは? > ストーリー

ストーリー

その頃、ぼくは毎日、寝る前に銀行口座にあといくら残っているか?それで来月の家賃は払えるか?支払いはできるんだろうか?こんな事ばかり考えながらベッドの中で、なかなか眠りにつけなかった。

友達とはじめた事業は全く上手くいかず、毎月、月末が近づくにつれ胃がキリキリするような毎日。来る日も来る日もお金の事ばかり考えていた。これからオレの将来はどうなるんだろうか?と不安で押しつぶされそうで、夜、一人になると考え事ばかりで、なかなか眠りにつけず、テレビやラジオの雑音でごまかしながら寝ていた・・・

正直、「起業したい!」と思ってビジネスをはじめたわけじゃなかった。親が自営業だった影響からか、何となく大企業に就職するというようなイメージが抱けなかった時に友達から誘われて、なんとなくビジネスの世界に足を踏み入れたのがきっかけだった。

そしたら思った以上にひどかった。お金儲けなんてもっと簡単だろうと思っていたら大間違いで、やることなすこと、何もかもが上手くいかない。それどころか、何をやったらいいかすら分からない、そんな状況だった。

そんなときに友達が「マーケティング」の本を紹介してくれた。A×B×CとつながっているプロセスでBをB’変えて上手くいかなかったら元のBに戻せばいいし、上手くいけばB’を採用すればいい。このような論理的な考えにとても惹かれて、マーケティングの本を読みあさった。そして、マーケティングのメッカは米国だという事を聞き、米国のマーケティング情報を集め出した。

広告マーケティングのメッカ米国で
ダイレクトレスポンスマーケティングの権威と出会う

そこで紹介されていたやり方を、そのまま実行すると、驚いた事にスグに結果が出た。小さい結果ではあったが、今まで何をやったらいいかまるで分からなかったインターネットの世界で、結果を出すことができて、それからこの世界にハマった。

ぼくが学んでいたのは「ダイレクト・レスポンス・マーケティング」と呼ばれるマーケティング手法で、その手の情報はたくさん集めていたが、そのどの情報も、ある人物を指していた。海外で結果を出しているマーケティングの専門家や経営者たちは、みなある人物に強い影響を受けていたのだった。

それがダンケネディだった。

彼は米国で億万長者メーカーとして知られていて、あなたも知ってる売上1000億規模の通販会社を育てたり、小さな会社の社長にダイレクトマーケティングを教えて、次々と成功させていった実績の持ち主だった。

その後、ダンケネディにダイレクト・レスポンスの本質的な事を学んだ。最初は、言ってることが難しくて分からなかったけど、2年3年と学んでいるうちに、彼の言葉の本質的な部分が理解できるようになってきた。そして、ダイレクト・レスポンス・マーケティングを実践するために、必要なセールスライティングという技術も学んだ。

ふと日本の市場を見ると、このような知識を持っている人はほとんどいないようだった。この技術とマーケティングの知識があれば、もうこの先、自分は安泰じゃないか。と思えるくらいだった。

ダイレクト・レスポンスの専門家になろう。そう決意して、昔のビジネスは友達に譲り、新たにこのビジネスをスタートした。

ダンケネディから授かった知識と、セールスライティングの技術を使うことで、新しいビジネスは、あっという間に成長した。1年目で売上2.4億円、2年目で売上7億円、3年目で10億円を突破した。それまで、年商1億円の事業を作ったことがなかったにも関わらず、、、

ビジネスは急成長し、経済的にもずいぶん良くなった。

ザレスポンスの始まり
~実践的なマーケティング情報を小さな会社の社長に~

そして、ある時、偶然「ダンケネディの知識を日本で広めないか?」という話が来た。もちろん、自分のビジネスが上手くいったのは、彼からダイレクトレスポンスを学んだ事が全てのスタートだったので、即答で「やる」と返事をした。

広告・マーケティングのメッカは米国だ。日本のマーケティングは5年は遅れていると言っても過言ではない。なので、米国流のマーケティングを学べば、ハーバードで学んだ学生と、日本の地方大学で学んだ学生くらいの差が出る。ほとんどの社長は、昔のぼくと同じで、ちょっとしたマーケティングの知識をつけるだけで、大抵の悩みから解放されて、事業を拡大できる。ただしその知識は競合と同じ知識であっては意味がない。

ダンケネディに限らず、米国の最高のマーケティング情報をしっかりとぼくらの文化にローカライズして、届けること。そうする事によって、今現在、悩める小さな会社の社長の手助けができるのではないか。そして、全国の社長のマーケティングレベルが上がれば、日本社会にとっても、とても良い影響があるのではないか。

それがザ・レスポンスの生まれたストーリーであり、存在意義である。

「レスポンスが全て」
ザ・レスポンス創設者
小川忠洋

Loading