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2009.2.6
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おがわただひろ
小川 忠洋

・ザ・レスポンス発行人
・コピーライター、「自分を不幸にしない13の習慣」の著者
・1976年栃木県生まれ。大阪大学物理学部宇宙地球学科卒。
・ダイレクト出版株式会社代表取締役
・株式会社ケネディコンサルティング代表取締役

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おっと。きっとあなたは、こんなつまらない自己紹介は読んでて退屈だろう。だからもっと、ストレートな自己紹介をしよう。

高校のころまで、僕は栃木県という極めてマイナーな田舎に住んでいた。今の高校生と違って、家と学校の往復で楽しい遊びなんて何もない。(実際は、高校生活はめちゃめちゃ楽しかったのだが、遊ぶ場所なんかは何もなかった)高校の時だか、中学の時だか忘れたけど、ニュートンという雑誌にアインシュタインの特集が載っていた。それを見て、「おーコイツはすげーおれも物理学者になろう!」と軽く進路を決めた。(エアロスミスにはまってロックスターになろうと思ったこともあるが、高校生でもそれが不可能な事は自分で分かった)

ちなみにこの時、高校では圧倒的に最下位クラスの成績だったのが、最後にはトップクラスになった。人間、目標を持つことは大切だなーと実感した最初の出来事だった。

大学に行くと、田舎の高校生が初めて都会にでたので、いろんな経験と誘惑に駆られることになる。多くの大学生と同じように僕も大学時代は、マージャンとコンパ、(いや麻雀かな・・・)が命の生活になってしまい、物理学者になるという大いなる夢はあっさり挫折してしまった。

その後、目標のなくなった僕は、堕落した。

毎日、昼過ぎまで寝てるようなどーしょーもない大学生になってしまった。そんなとき、僕は友達からネットワークビジネスに誘われたのだった。。。

やる気のない日々を過ごしていた僕にとって、新しい目標は新鮮だった。それは「お金」つまり経済面での成功だった。住んでいたのが大阪という事もあり、「金もうけなしゃーない」的な哲学が生まれ、そこからビジネスの世界に入ることになる。

それから、ケータイメールのビジネスを始めてみたり、ソフトウェアのビジネスを始めてみたり。いろいろやったが、なかなかビジネスは成功しなかった。

ダンケネディにマーケティングを学ぶまでは。

ダンケネディにマーケティングを学んでからと言うもの、どうやったらお金を生み出すことができるのか?徐々にわかってきて、収入もだいぶ伸びてきた。そして、2006年にダイレクト出版株式会社を設立。もともとフリーのコピーライターになろうと思って、自分の技術を向上させていこうと思って、始めた会社だったが、ケネディ流のダイレクトレスポンスマーケティングは、極めて強烈で、たった2年で10億円規模の会社になった。これは結構、早いスピードなので、みんなに驚かれる。

今まで、ビジネスや自己啓発、投資など色々なジャンルでそのマーケティングを実践して、結果を出してきた。その経験の中から分かった事は、インターネットが主流となるこれからの時代、ほとんど全てのビジネスが直接、顧客を取ることができる。つまり、ダイレクトレスポンスマーケティングを必要とするようになる。

そんな中、日本の企業はマーケティング力が低いなので、ケネディ流のマーケティングを伝える事はとても価値あることだと考えてこのザ・レスポンスを発行することにした。

おがわただひろ


寺本隆裕
寺本 隆裕

・ダイレクト出版取締役
・1979年大阪府生まれ。関西大学工学部建築学科卒。
・二児の父。(息子:2007年4月、2011年4月生まれ)

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大阪府で生まれるも、父親の転勤によって引越、転校を繰り返す。初めての転校は小学校4年に上がる時の春。大阪から京都に引っ越す。

中学一年になったある夏の日のこと、そのころ好きだった女の子に突然告白される。

これからのバラ色の青春を想像して興奮していたその日の夜、最悪のタイミングで父親から「転校やで」と言われ、枕を濡らす。

次の行先は、大分県。今まで引越と言っても関西の中の移動だったのに、一気に本州から脱出。自動改札もなく、テレビの民放も2局しか映らない(NHK、NHK教育と合わせて全4局)田舎で高校3年生まで過ごすことになる。

大学では一人暮らしをしたかったので、両親の実家もあり、ゆかりもある大阪の大学(関西大学)に進学することを決める。

一人暮らしで自由な大学生活を楽しみにしていたのもつかの間、同時に父親の大阪転勤が決まり、家族全員で大阪に引っ越すことになった(一人暮らしの夢は先送り)。

キムタクが建築家の役をやっていたテレビドラマに影響されて入った建築学科だったが、あまりの絵のへたくそさとセンスのなさに、1年生の終わりごろ、建築家への夢をあきらめる。

すぐに実力を発揮し、入社後2ヶ月で月商3,000万円のマーケティング部門(【ザ・レスポンス】を運営)を任されるようになり、その後その部門を、月商1億円以上を安定して売上げる事業に育てた(メンバーは10名)。

マーケティング・システムの設計と、セールスコピーライティングの能力には定評があり、セミナーは2日間で30万円と高額にもかかわらず、会場に入りきらないほどの人気(半年間のコーチング・プログラムの参加費は一人60万円)。

クライアントのためにセールスライティングを請け負う場合、プロジェクト1件で、一流企業のエリートサラリーマンの年収を軽く超える額をチャージ。さらにそこから売上からのロイヤリティがかかる。これほど日本で最高クラスの料金設定にもかかわらず「書いてください」という人が後を絶たない。

現在、ダイレクト出版株式会社取締役。

寺本隆裕


北岡 秀紀

・オクゴエ!主宰
・ひみつきちJ株式会社代表取締役

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関西学院大学総合政策学部卒業後、店舗を運営する某ベンチャー企業に入社。店舗スタッフ、店長を経て、スーパーバイザーとしてフランチャイズ店舗の経営指導にあたる。

ここでたったひとりの店長やアルバイトがいなくなるだけで、売上が激減する様子を何度も目撃。「人のスキルや能力に頼らず勝手に売れる仕組みを作る」ことの重要性を痛感し、この仕組み作りこそが自分が最もやりたい仕事であることに気付き、反応率の高いチラシ作りや業務の標準化に力を注ぐようになる。

仕事自体は面白かったが、これからはインターネットが必要だ!と感じ、大手インターネット広告代理店に思い切って転職。 しかし、クライアントの利益よりも自分の予算の達成という雰囲気、努力と根性の泥臭い営業手法に耐えられず、アポ取りの電話をしようとするだけで手が震えるほど営業恐怖症に陥る。結局、克服できず1年でドロップアウト。

これまでの経歴とこの挫折経験を活かし、インターネットを使って「営業せずに売れる仕組み」を構築することに特化したコンサルタントとして独立。当時としては珍しい、ネットとリアル両方のマーケティングが分かるコンサルとして活躍。2007年には法人化、株式会社Trimtab Marketingを設立。

これまで約900以上のクライアントのコンサルティングを実施し、数々の店・中小企業・オンラインショップの売上改善を果たす。その成功率は91.7%を誇る。(2011年10月現在)単に机上の空論ではなく、「自身で実証済みのノウハウだけを伝える」ことを信条としている。

現在は「100億円企業をひとつ作るより、年商1億円の起業を100作る方が幸せな人が増える」を信条に年商1億円突破のコンサルティングに特化。

年商1億円を突破したい社長向けの情報サイト『オクゴエ!』を主宰。

・インターネットを使った「勝手に売れる仕組み」の構築・複雑な仕事を高校生アルバイトでも実行可能にする業務プロセスの効率化・標準化・マニュアル化

などのノウハウを提供している。

独自の視点から繰り出されるノウハウは、1段ずつ階段を登るように誰でも無理なく行動でき成果が出ると評判。

また、自身のノウハウを受け継ぐコンサルタントを育てるプログラムを主催しており、一人あたりの参加費は350万円という超高額にも関わらず、申込が殺到。参加希望者の77%以上を断っている。


ハワードジョイマン

・コピーライター 絵本作家(構想・シナリオ担当)
・有限会社繁盛店研究所 代表取締役
・株式会社繁盛店研究出版 代表取締役
・繁盛店グループ総代表
・利益倍増コピーライター
・中小企業診断士(経済産業省 登録番号402345)
・趣味:トライアスロン(テニアン ターコイズブルー・トライアスロン2014完走)

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1975年 静岡県清水市生まれ(現在:静岡市清水区)

自営業の家に生まれ、親戚一同も会社経営をしていることから、小さい頃より受付台にたち、商売を学ぶ。

大学入学と同時にお笑い芸人としての活動を経験。活動中は、九州松早グループの運営するファミリーマートのCMに出演。急性膵炎による父の急死により大学卒業後、清水市役所に奉職。

市役所在職中に中小企業診断士の取得を始める。昼間は市役所で働き、夜は診断士の受験勉強。そして、週末は現場経験を積むため無給でイタリアンレストランでの現場修行を経験。6年間の試験勉強を経て、中小企業診断士資格を取得。

取得を契機に7年目で市役所退職。退職後、有限会社繁盛店研究所(旧:有限会社マーケット・クリエーション)を設立。

お笑い芸人として活動していた経験から、小売店や飲食店、美容室、整体院の客数増加や店内販売活動に、お笑い芸人の思考法や行動スタイル、漫才の手法などを取り入れることで、クライアントの業績が着実に向上していく。

こうした実績を積み上がるに従い、信奉者が増える。

独自の繁盛店メソッド「笑人の繁盛術」の考え方で、コンサルティングを行う。

発行するメールマガジンは、専門用語を使わない分かりやすい内容から、メルマガ読者からの業績アップ報告が多く、読者総数は1万人を超える

会員制コンサルティングサポート「笑人塾」を運営。人気テレビ番組ガイアの夜明けにも取り上げられるなど注目を浴びる。これまで北は北海道から南は沖縄、そして、アメリカからも参加する方がいるなど、多くの方が実践を続けている。

コンサルタントが購読する「企業診断」(同友館)からもコンサルタントに向けた連載を依頼されるなど、コンサルタントのコンサルタントとしても活躍中。

どんなに仕事が忙しくとも毎月1回の先祖のお墓参りを大事にしている、家族を愛するマーケッター。


中谷 佳正

・WEBマーケティング出版 代表 
・有限会社WINKS 代表取締役 経営者向けマーケティング塾 中谷塾塾長

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って胡散臭い経営塾をやっていると 思った方も多いかもしれないですが・・・自己紹介をさせてください。

高卒とスタートラインが2cmくらいしか変わらない、3流大学をコンパ三昧だった為ギリギリ卒業し、就職活動をする気にもなれず、
アメリカにヘリコブターの事業免許を取りに行こうと考えて、パンフを取り寄せたのですが、、、、

なんと、海外の生活費も含め1500万円程掛かる事を知り・・・

佐川急便に勤めるか自分で事業を興してお金を貯めるか考えて、修業先を探していた所、見事、そそのかされネットワークの道へ

スーツを着たほぼ浮浪者生活を経験し、ネットワークの資金稼ぎに WEBの世界に入る事になったのですが、、、

ネットワークの時間を作らないといけないので、 誰よりも短い時間で、成果を出す為に必死に考え、、、

トントンとベンチャー企業のトップセールスマンへ。

最年少で営業の役職を渡されそうになったので、丁重にお断りを させて頂いた(笑)
そのベンチャー企業の先輩に引き抜かれ WEB制作会社の立ち上げに参加させてもらいました。

そして、その会社は順調に成長を遂げ、見事に 社長とケンカ別れ・・・

現在のWINKSを創設して、現在に至ります。

営業のスキルを活かし、グングン売上げを伸ばすも キャッシュフローの悪さと、足し算にしかならないビジネスに モヤモヤ・・・

適当に営業する日がどんどん増えて・・・も収入は上がる・・・

いつ下がるか分からない売上げに、ヒヤヒヤ・・・

ダイレクト出版の代表、小川さんに学ぶまでは。

現在はHP制作会社向けのマーケティング塾を開催し 長期的なコーチングの仕事、オンラインとオフラインを融合させた
マーケティングの仕組みづくりやインフォビジネスを展開中です。

小川さんと寺本さんに強引に引きづり込まれ(笑) このザ・レスポンスのメルマガを書かせて頂いています。

ほとんどの会社がマーケティングを上手く取り入れてない状況で 供給過多になりかけていたWEB会社から、マーケティング会社に 転換した事で、とても良い環境を作る事ができてます。


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山田 光彦

・マーケティング部門 コピーライター
・1978年京都生まれ
・前職は司法書士(結構、お固い仕事です)

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コピーライティングの世界にどっぷりはまってしまった、コピーライティング・オタク。

京都に生まれるも、小学校の卒業アルバムに「将来の夢は、サラリーマン」と書いてしまう、夢のない少年。それが原因かはわからないが、バレンタインで一度もチョコをもらったことがない夢のない少年時代を過ごす。

しかし、大学を卒業後、幸運にも司法書士の資格(法律関係の資格)を取得。2年間の修業の後、京都で事務所を開業。お客さんに感謝されながら、経営も順調な充実した毎日を送る。

一方、司法書士として開業を考えていた時に1冊の本と出会い、マーケティングとコピーライティングの世界にどっぷりハマる。きっかけになった本は「あなたの会社が90日で儲かる」(著者:神田昌典氏)。この本を読んだあとに次々に教材やセミナーを受けることに(ダイレクト出版の商品も色々と買っていました)。

マーケティングやコピーライティングを実践していく中で、その魅力のトリコになり、司法書士をやめて、コピーライターとして活動することを決意。ダイレクト出版に入社し、現在は寺本とともに【ザ・レスポンス】《ザ・レスポンス・コピー》のコピー・マーケティングを担当している。

 


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ジョン・カールトン

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「生存している中で、世界で最もパクられ、そして尊敬されているセールスコピーライター」と呼ばれ、ウェブサイト、ビデオスクリプト、ソーシャルメディア、印刷広告などにおいて、市場を問わず、様々な商品を大ヒットに導いてきた。

彼の広告が雑誌に掲載されると、他の広告主も競って彼のスタイルを真似することから、雑誌の形態すらも変えてしまうと言われている。

マーケティング業界において25年以上にわたり、業界トップクラスのフリーのセールスコピーライターとして活躍。電話で相談するだけで1時間で2,500ドル(約25万円)など、驚くほど高額のフィーをクライアントに請求しながらも、世界中からの仕事の依頼で1年先まで予約が埋まっている。

セールスライティングの講師としても多くのセールスライターを育てており、彼のホームページには、有名・無名にかかわらず、彼の教えを受けた数多くのオンラインマーケッターから熱狂的な声が寄せられている。

彼のキャリアは今や伝説として語られている。ロスアンゼルスの広告代理店から、自社のスタッフでは誰も書けなかった広告を任され、驚異的なヒットを飛ばした後、ダイレクト・レスポンスの巨人ジェイ・エイブラハムや世界No.1コピーライターと呼ばれた故ゲイリー・ハルバートと長年一緒に仕事をし、数々のプロジェクトを成功に導いてきた。

彼はまた、ブログ、Podcast、Eメール、オンラインセミナーをセールスツールとして初めて使うなど、オンラインマーケティングのパイオニアとしても常に最先端を走っている。

 


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リッチシェフレン

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インターネット・マーケティングの第一人者として知られて、グーグルやマイクロソフト、ヤフーなどの大企業にから小規模の起業家のマーケティングコーチもして、世界トップレベルの名声を持つ。彼が個人的にコーチングした人は各業界のマーケティングのエキスパートと呼ばれるような有名人たちで、8ヶ月で平均1億2000万円の売上アップさせた。

またオフラインビジネスでも成功をおさめており、彼がインターネットビジネスに参入する前は、ファッション関連のビジネスや催眠治療センターなどを経営して成功。ちなみにそのファッションビジネスでは彼の元スタッフがその後プラダの副社長やディーゼルの社長になったり、明らかに成功していた。

その活躍は全米の多くのメディアで紹介されている。

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