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ザ・レスポンスのライター

小川忠洋

小川忠洋

ザ・レスポンス発行人
コピーライター、「自分を不幸にしない13の習慣」の著者
1976年栃木県生まれ。大阪大学物理学部宇宙地球学科卒。
ダイレクト出版株式会社代表取締役
株式会社ケネディコンサルティング代表取締役

おっと。きっとあなたは、こんなつまらない自己紹介は読んでて退屈だろう。だからもっと、ストレートな自己紹介をしよう。

高校のころまで、僕は栃木県という極めてマイナーな田舎に住んでいた。今の高校生と違って、家と学校の往復で楽しい遊びなんて何もない。(実際は、高校生活はめちゃめちゃ楽しかったのだが、遊ぶ場所なんかは何もなかった)高校の時だか、中学の時だか忘れたけど、ニュートンという雑誌にアインシュタインの特集が載っていた。それを見て、「おーコイツはすげーおれも物理学者になろう!」と軽く進路を決めた。(エアロスミスにはまってロックスターになろうと思ったこともあるが、高校生でもそれが不可能な事は自分で分かった)

ちなみにこの時、高校では圧倒的に最下位クラスの成績だったのが、最後にはトップクラスになった。人間、目標を持つことは大切だなーと実感した最初の出来事だった。

大学に行くと、田舎の高校生が初めて都会にでたので、いろんな経験と誘惑に駆られることになる。多くの大学生と同じように僕も大学時代は、マージャンとコンパ、(いや麻雀かな・・・)が命の生活になってしまい、物理学者になるという大いなる夢はあっさり挫折してしまった。

その後、目標のなくなった僕は、堕落した。

毎日、昼過ぎまで寝てるようなどーしょーもない大学生になってしまった。そんなとき、僕は友達からネットワークビジネスに誘われたのだった。。。

やる気のない日々を過ごしていた僕にとって、新しい目標は新鮮だった。それは「お金」つまり経済面での成功だった。住んでいたのが大阪という事もあり、「金もうけなしゃーない」的な哲学が生まれ、そこからビジネスの世界に入ることになる。

それから、ケータイメールのビジネスを始めてみたり、ソフトウェアのビジネスを始めてみたり。いろいろやったが、なかなかビジネスは成功しなかった。

ダンケネディにマーケティングを学ぶまでは。

ダンケネディにマーケティングを学んでからと言うもの、どうやったらお金を生み出すことができるのか?徐々にわかってきて、収入もだいぶ伸びてきた。そして、2006年にダイレクト出版株式会社を設立。もともとフリーのコピーライターになろうと思って、自分の技術を向上させていこうと思って、始めた会社だったが、ケネディ流のダイレクトレスポンスマーケティングは、極めて強烈で、たった2年で10億円規模の会社になった。これは結構、早いスピードなので、みんなに驚かれる。

今まで、ビジネスや自己啓発、投資など色々なジャンルでそのマーケティングを実践して、結果を出してきた。その経験の中から分かった事は、インターネットが主流となるこれからの時代、ほとんど全てのビジネスが直接、顧客を取ることができる。つまり、ダイレクトレスポンスマーケティングを必要とするようになる。

そんな中、日本の企業はマーケティング力が低い
なので、ケネディ流のマーケティングを伝える事はとても価値あることだと考えてこのザ・レスポンスを発行することにした。

小川忠洋

小川忠洋

池本克之(いけもと かつゆき)

マーケティングコンサルタント。

1965年兵庫県生まれ。ノンバンク等に勤務の後、マーケティング会社を設立し、通販ビジネスに経営参画する。

2001年ドクターシーラボ代表取締役に就任。2003年ジャスダックに店頭公開させる。2004年3月、株式会社ネットプライス執行役員に就任。同年7月の東証マザーズ株式公開に立ち会い、株式会社ネットプライス社長、持株会社ネットプライスドットコム副社長などを歴任した。2007年に同社のグループの取締役を退任。

現在は、コンサルタントとして活躍中。

著書に『年商3億円を120億円に変える仕事術』(大和書房)、『40倍稼ぐしくみ』(PHP研究所)、『プロフェッショナル・リーダーの人を見極め、動かし、育てる法則』(ダイヤモンド社)、『オバマ「勝つ話術、勝てる駆け引き」』(講談社)がある。

趣味は、マラソン、ゴルフ、野球などスポーツマンの一面も持ち合わせている。

寺本隆裕

寺本隆裕

マーケティング部門 ディレクター、コピーライター
1979年大阪府生まれ。関西大学工学部建築学科卒。
一児の父。(息子:2007年4月生まれ)

大阪府で生まれるも、父親の転勤によって引越、転校を繰り返す。
初めての転校は小学校4年に上がる時の春。大阪から京都に引っ越す。

中学一年になったある夏の日のこと、そのころ好きだった女の子に突然告白される。

これからのバラ色の青春を想像して興奮していたその日の夜、最悪のタイミングで父親から「転校やで」と言われ、枕を濡らす。

次の行先は、大分県。
今まで引越と言っても関西の中の移動だったのに、一気に本州から脱出。
自動改札もなく、テレビの民放も2局しか映らない(NHK、NHK教育と合わせて全4局)田舎で高校3年生まで過ごすことになる。

大学では一人暮らしをしたかったので、両親の実家もあり、ゆかりもある大阪の大学(関西大学)に進学することを決める。

一人暮らしで自由な大学生活を楽しみにしていたのもつかの間、同時に父親の大阪転勤が決まり、家族全員で大阪に引っ越すことになった(一人暮らしの夢は先送り)。

キムタクが建築家の役をやっていたテレビドラマに影響されて入った建築学科だったが、あまりの絵のへたくそさとセンスのなさに、1年生の終わりごろ、建築家への夢をあきらめる。

その後、「授業が忙しいから」と親を何とか説得し、無理やり一人暮らしをスタートするも、マージャンにはまり、昼夜逆転、主食は卵ご飯と納豆という、最悪の生活を送るようになる。

ギリギリで卒業したあと、東京の大手IT企業(当時東証一部上場)に入社。

そこで、システム開発やプロジェクトマネジメントなどの技術を叩き込まれるが、この仕事がなかなか適性に合っていたようで、過酷ではあったが(夜11時からお客さんとミーティング、など)、とても充実した日々を送る。

「一生懸命やることを楽しむ」ことで会社からも評価され、様々な規模のプロジェクトのマネジメントを任されるようになる。

そんな中、ひょんなことから、コピーライティングやダイレクトレスポンスの魅力にとりつかれ、それまで通勤のときに読んでいた「日経コンピュータ」を、ジョー・シュガーマンや神田昌典さん、ジェイ・エイブラハムなどの本に持ち替えるようになる。

将来進む道はここだと決意し、5年間お世話になった会社を辞めて大阪に戻り、海外のマーケティング教材を日本に販売する会社を立ち上げる。

が、ビジネス成功の道は甘くなく、収入も激減し、生まれたばかりの子供と奥さんの寝顔を見ながら、どうしようもない罪悪感に潰されそうな日々を過ごすことになる。

そんな日がしばらく続いたあるとき、偶然、小川忠洋と出会い、コピーライターとしてジョイントベンチャー契約を結び、一緒にビジネスをやることになる。

その後ダイレクト出版のオフィスに何度か出入りするようになるが、会社のこれからの可能性に魅力を感じ、もっと深くかかわりたいことを伝え、入社することになった。

すぐに実力を発揮し、入社後2か月で、月商3,000万円のマーケティング部門を任されるようになる。

現在は、【ザ・レスポンス】に関するコピー、マーケティングの総責任者。

寺本隆裕

寺本隆裕

鷲見貴人
鷲見貴人株式会社シエンプレ代表取締役

大学卒業と同時になぜかオーストラリアに渡航し、1年半ほどレストランのウェイターとして働く。

日本帰国後まもなく、オーストラリアで知り合ったイギリス人の女性と結婚。これがきっかけで、今度は凝りもせずイギリスへ渡航する...

イギリスでは理想の仕事が見つからず、物価が高かったこともあってかなり貧しい生活を強いられた。特に、4ヶ月間収入がゼロの時は、自分の人生どうなってしまうんだろうと悩んだが、妻の支えもあり何とかそのピンチも脱出。

イギリスに渡ってから3つ目の仕事でようやく人並みの生活を手に...

当時の仕事は、インターネットで商品を販売している会社のコールセンターで、英語圏の人達に対するカスタマーサポート。

日本にも支店がある会社だったので日本語も生かすことができ、その頃には独学ながら英語もかなり上達していたので、英語でのカスタマーサポートもまったく問題はなかった。

とはいっても、この時点では最低ラインの給料である。

そんなある日、勤務先であるひとつのプロジェクトが提案される。新しいサービスを日本でしてみたいとの事。

日本支店からは「日本ではそんなの流行らないョ~」との声が多く、企画倒れになりそうだったプロジェクトを、「ウェブサイトの勉強にもなるし、誰もやらないなら…」という理由だけで、引き受ける。

そこではじめてSEO(検索エンジン最適化)を知ることになるのだが、その魔法の魅力に夢中になるまでに、それほど時間はかからなかった。

カスタマーサポートの傍らSEOに没頭し、やっとの思いで検索エンジンの1ページ目に表示されるようになった頃、本格的に日本でビジネスを展開するようにオーナーに提案。

それでもまだ日本支店からは反対されたが、

* 日本までの飛行機代は自費
* 会社からの保険・年金などの支払い一切なし
* 3ヶ月間は一定の給与で、それ以降は利益分だけの支払い
* 日本支店のオフィスではなく、実家のベッドルームから仕事をする(これは、通勤がないからプラスかもしれない...)

リスクは本人が背負うという条件で、日本行きが決定。

無謀な決断だったかもしれないが、約束通り3ヶ月で黒字に、そして6ヶ月後には年間5千万のビジネスを創り上げる。

実家のベッドルームから1人で、しかもセールス・マーケティングの知識ゼロ、広告に1円もお金を使わずに、SEO だけで5千万のビジネスを創り上げた実績を持つ。

現在は、Google ウェブサイトオプティマイザー 認定コンサルタントとしてランディングページのコンバージョン率をアップさせるためのLPO対策や、アドワーズ広告に関するコンサルティングを行っている。

Google認定プロフェッショナルの資格を持ち、毎月1000万円以上のアドワーズアカウントを管理している傍ら、コーチングプログラムの主催も行っている。

鷲見貴人
鷲見貴人

 
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